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ドイツ的なものと日本的なもの(1)

2013年11月30日

Posted by 悠太郎 at 18:51│Comments(0)公開講座
今日、東洋大学の連続講座「ドイツ的なものと日本的なもの」の第一回目を聴講してきた。
講師は、東洋大学経済学部斎藤佑史教授。
内容は、異文化理解の重要性、異文化への憧れと軽蔑、文化と文明、Prof.Berndのテキスト『ドイツ人のみた日本人』から、笠信太郎『ものの見方について』の中の「ドイツ的なものの見方」から、今年出版された日独関係、ドイツ文化に関する本から3冊紹介、であった。

講義は、軽め、一般的な内容だった。

・日本人は、異文化(ここでは西欧文化)への憧れが強かったから近代化に成功したともいえる。もちろん、近代化しなければ欧米列強の圧力に屈し従属的な立場に立たされるという危機感が強かったのは言うまでもない。憧れの裏には軽蔑というものも存在する。その良い例が対中国である。明治期までの日本人にとっての憧れは、中国であった。しかし日本が一度近代化してしまうと中国は遅れていると軽蔑し、見下すようになった。

・国に対して好き嫌いという反応は、直ぐに出てくるものである。しかしその文化を奥深く知っていて批判するのではなく表面的な知見での判断に過ぎないのである。中国の「文明度」について言われることがある。ここで、文明ということも考えておきたい。

・文化や文明というと学者によって喧々諤々の議論があるが、極めて分かりにくい。作家の言葉は分かりやすいので、ここでは司馬遼太郎の『アメリカ素描』を引用する。

「文明は「だれでもが参加できる普遍的なもの・合理的なもの・機能的なもの」をさすのに対し、文化はむしろ不合理なものであり、特定の集団、たとえば民族においてのみ通用する特殊なもので、他に及ぼしがたい、つまり普遍的ではない。(中略)不合理さこそ文化の発行物質なのである。」・・・・・「異文化との交流の中で、普遍的に受け入れられがたい特殊なものはそぎおとし、普遍的に受け入れられる長所はとり入れ、「文明」が形成されていく。すなわち「文明」は「文化」の副産物ということができるだろう。」

・Prof.Berndの『ドイツ人のみた日本人』について
 彼は、ベルリンの「森鴎外博物館」の館長を務めたことがあり、鴎外のドイツ語訳者として知られている。
この本の中では、日本人のよくする質問とドイツ人のよくする質問についても書かれている。
その一例として、
日本人は「どの大学で学んでいるか」「どの会社で働いているか」と質問し、ドイツ人は「大学で何を学んでいるか」「どんな仕事をしているか」と質問する。これは、日本人が「どのグループに属しているのかを重視し、その大学や会社のランキングに拘る」のに対し、ドイツ人は「どのように『自己実現』しているのかということに拘る」からである。別の言葉で言えば、日本人は、集団が大事で、相対的自我を有しており、ドイツ人は、個人が大事で、絶対的自我を有しているといえるだろう。

・笠信太郎『ものの見方について』
彼は、戦時中の朝日新聞記者であり、欧州滞在中戦争に巻き込まれ日本に帰れなかった人間である。その滞在中の観察として各国人比較論を書いているが、イギリスびいきである。ドイツ人は、論理的なものを極めて重視し、論理的であり、本当のようであるならその情報を信ずる。一方イギリス人は、論理性も重要視するが、モノ本体の道理から考えて疑わしい情報は信じないのである。

・今年出版された日独関係、ドイツ文化に関する本、3冊の紹介。
『日本を愛したドイツ人 ケンペルからタウトへ』(島谷謙、広島大学出版会)
『旅人の夜の歌』(小塩節、岩波書店)
『三十一文字で詠むゲーテ』(平野響子、飛鳥新社)




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